【リーダーシップ】健全な「自責思考」と適度な「他責思考」のバランス

ビジネス

 ビジネスシーンにおいては、「他責思考」よりも「自責思考」が一般的に好まれます。自責思考でいると、自分を成長させる機会が多くなり当事者意識を持って物事に取り組めますので、結果的に成果を出しやすくなる訳です。

 しかしながら、行き過ぎた「自責思考」は自分を追い詰めてしまうため、健全な「自責思考」と一定の「他責思考」を持つのが理想です。今回の記事では、これらについて記載します。


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1.「自責思考」と「他責思考」とは何か?

 「自責思考」何か問題が起きた際、原因は自分にある、と考えること

  • マネージャーやリーダーは、基本この考え方でいる方が良いとされています。
  • 理由は、問題解決に際し、①当事者意識を持って考えることができ、②自身の成長にもつなげることが出来るためです。
  • また、相手のせいにしないので、③負の感情が沸かず、思考がポジティブになります。

 「他責思考」何か問題が起きた際、原因は自分以外にある、他人のせいと考えること

  • 問題を自分のせいにしたくない、自分が傷つかないように防衛する考え方
  • この考え方でいると、①自分の成長もなく、②ビジネス上でも厄介者扱いされるか、③評価されることも厳しい。

2.「自責思考」と「他責思考」の具体例

 例えば自分がマネージャーの立場にいて、指示しても動きが遅い、言われたことしかやらない、改善する意欲がない、締め切りを守れない、自律的に動かない等の部下がいたとしましょう。

「他責思考」で考えると、

  • なぜあいつは仕事をしないのか、対応してないのか
  • なぜ言われたことしかしないのか
  • どうせ言っても無駄だ

 となり、イライラすることになりますが、

「自責思考」で考えれれば、

  • 自身のマネジメント方法に問題があったかもしれない
  • 動きが遅いなら、早く動けるように最初に打ち合わせを設定させる
  • 締め切りは曖昧に設定せず、早めにかつ具体的に設定する(日付まで指定)

 と考えることで、イライラせずに淡々と仕事を行うことが出来ます。

 あるいは、何か問題が起きて自分がミスしてしまった際、

 「他責思考」で考えると、

  • サポートしてくれない上司が悪い
  • 急に言われても時間が無い、対応できない
  • 自分は経験が浅いからしょうがいない

 と考えることです。

「自責思考」では同じように、

  • 自身のマネジメント方法に問題があったかもしれない
  • 取りかかるのが遅かった
  • 後回しにしてしまった

 等と考えることです。

3.「自責思考」は本当良いのか?

 一方で、ここまで「自責思考」が良いと記載しましたが、一概にそうも言い切れません。過剰な自責思考に陥ると、自分を追い詰めてしまうことにもなります。何でも自分に責任があると必要以上に思い込んだり、何でも自分で背負い込むことは避けるべきです。

4.健全な「自責思考」と適度な「他責思考」

 そこで、いい意味で「他責思考」を取り入れることも大事です。例えば、何か問題が起こった際に、「自責思考」で自分に何か問題があると考える一方で、「仕組み」や「マニュアル」に不備が無かったか?仕組みや構造そのものがおかしいのでは?と考える方法です。

 原因を「仕組み」や「マニュアル」の不備にすることは、自責思考ではありませんが、人のせいにする良くない「他責思考」とも異なります。問題の原因は仕組みそのものにあるなら、失敗が起こるのは当然かもしれません。

 心理的安全性とよく言われますが、理想的なのは、たとえ失敗しても、すぐに報告できる雰囲気があり、その失敗を糧にして次に進める、改善につなげることが出来るチーム、組織であることです。

5.結論

 結論としては原則「自責思考」で考えるが、適度な「他責思考」も必要、という考え方をすれば、自身を追い詰めることなく、成果を出しながら成長することが出来ると思います。

参考:アドラー(嫌われる勇気)やコヴィー(7つの習慣)の話

 この「自責思考」という考え方は、「嫌われる勇気」では、「課題の分離」で説明されています。また、アドラーは、「他者を変えることは出来ないが、自分の未来は変えられる」という趣旨の発言をしています。「7つの習慣」では、第1の習慣である「主体性を持つ」で、やはり自責思考について解説されています。


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